アショカ王の石柱は、1896年にドイツ人の考古学者フューラーによって発見されました。紀元前249年にマウリヤ王朝のアショカ王がこの地を訪れたときには、ルンビニは大きな村だったと云われています。ここで見つかったアショカの石柱には「神々に愛でられしアショカ王が即位20年の年にこの地を訪れ石柱を立てた旨と、釈尊の生誕地であるこの村は免税され8分の1のみの納税で許される旨」が刻まれています。当時は4本の石柱が立てられ、その柱頭には馬像があったと云われていますがその馬像は見つかっていません。玄奘三蔵もこの地を訪れており、この柱に雷が落ち3つに折れたと記録しています。
プスカリニ池:マーヤ夫人が出産の前に沐浴し、釈尊の沐浴にも使われたといわれる池です。現在の池の堤は1939年に造られたで、池のほとりには大きな菩提樹があります。| 聖園地区 | ||
![]() マーヤ聖堂(生誕の遺跡) |
![]() 生誕ポイント(マーヤ聖堂内) |
![]() マーヤ聖堂内部 |
![]() マーヤ聖堂内部 |
![]() マーヤ聖堂内部 |
![]() 法輪 |
![]() 遺跡 |
![]() 遺跡 |
![]() 遺跡 |
| 寺院地区 | ||
![]() 中国寺 |
![]() 中国寺の本堂 |
![]() ドイツ寺 |
![]() ベトナム寺 |
![]() ミャンマー寺 |
![]() ミャンマー寺 |